新型コロナウィルスが我々に突き付けたのは、①グローバル化、②都市化、③不要不急な生活、④移動の自由、⑤3密(密集密接密閉)、この5つの否定だ。
(私は、これらは食用にされたコウモリやハクビシンなど自然動物からの市民生活への警告と受け止めている。)
産業革命以降、我々が経済発展のために進めてきたのは、
・地球規模による生産の分担
・都市への集中による経済活動の効率化
・大量生産消費と不要不急な活動を重ねる娯楽時代
結果、今の日本は、洋服の輸入率は97%、食料自給率は30%、マスクでさえ80%以上が輸入だ。
今の日本は一人では生きていけないのだ。
リカードに代表される貿易理論や生産の分担は、経済効率性には寄与してきたが、今はそれが弊害となってしまった。
今日のタイトル「新・江戸時代」の意味
江戸時代の政策は、
・鎖国(海外との貿易は限定的)
・藩を中心とした生活(地方自治と独自性)
・移動には通行手形(移動の制限)
・自給自足(春夏秋冬を活用した生活物資・食糧の自活)
・質素(食肉を禁止した必要最低限な暮らし)
これらは日本統治のために作られたものだ。
でも、まさか、今、この体制に戻せ、などと言うつもりは無い。
ただ、学ぶところは大きいと思う。
実際、今、我々に求められ、実行しているのは、
・県をまたがる移動の自粛
・STAY HOME(家を中心とした生活)
・家内制手工業(在宅ワーク)
・不要不急な娯楽活動の停止
・海外渡航の徹底した制限(グローバル化の制限)
・国内生産の復活(自給率の向上)
・あてに出来ない中央政府より先行する地方自治(幕末)
などなど。
どうだろう、まさしく江戸時代ではないか。
今、ITが進み、AIが解析し、江戸時代のそれとは全く環境が違う。
でも、人が寝起きして、ご飯を食べて、労働によって働き甲斐や充実度を得る。
家族の幸せや健康や安全を願う。
毎日、健康に過ごす。
これらの根源的なものは何も変わっていないはずだ。
コロナが教えてくれた教訓は、何事も行き過ぎはダメだ、ということではないか。
そして、人口減少、高齢化、地方の衰退、この日本の現状において、100兆円という国家予算の使い方はこれまでの経済発展を求めるものとは全く異なってしまったのではないだろうか。
減反政策
これも本当に正しかったのか。
食糧自給率30%でこれからも日本は進んでいくのか。
今、米中の国交さえ危うい時代である。
もっと、自分達が生きていく上で大切なものを考える時期に来ているのではないか。
残念ながらが、イギリスのEU離脱などグローバル化とは逆行した地域主義は、このコロナ禍で色々な形で進むだろう。
その時、本当に日本は大丈夫なのか。
我々が安心して、商業施設を運営して、お客様がお買い物をするのは、安全で安定した毎日でなければならないことを心から感じた2か月だったと思う。
1990年代、懇意だった教授が、ヨーロッパ統合で盛り上がる世界経済を横目に「今後、経済が発展し、途上国が成長し、情報社会になった時、地域主義が戻ることになるよ、残念だけど」と言っていたのを今、思い出す。
今後、人やモノの移動は復活するだろう。
でも、せっかく技術革新が進んで情報の伝達や物流や経済活動も人を介さなくても出来るはずだ。
学校の授業、会社での会議、店頭での接客、長い営業時間、レジでの現金授受、手続きの印鑑、面談による診察、混雑した通勤電車、都心オフィスへの集積、土木行政、食料自給率 などなど。
こういった細かいところから大きなことまで、そして生活まで見直す機会にすることがアフターコロナの大切なテーマだと思う。