コロナ禍で毎日寂しいニュースが多いが、その中でも、一番、ショックな情報は、「ウォーカー」の休刊だ。
近年、デジタルメディアの転換も進み、いつかは無くなるのだろうとは思っていたが、いざ、本当に無くなると聞くとショックは大きい。
2000年当時、グランベリーモールの営業担当として在籍中、ウォーカー各誌を始めとした角川書店の皆さんには本当に助けていただいた。
私は、それまで雑誌社を対象にしたPR活動などの経験も無ければ、それこそ、マスコミの方などとは会ったことすら無かった。
だから、どんな人たちがこういった業界にいて、どんな仕事をして、どんなことを考えてるのか皆目見当がつかない。
でも、情報発信力の高かったウォーカー各誌にグランベリーモールのことを取り上げて欲しくて、とにかく当たって砕けろで、角川を始め各誌の編集長を訪ね歩いた。
驚いたことにどの編集長も快く会ってくれたのだ。
そうすると色々なことが分かってくる。
一番大きかった収穫は、雑誌とショッピングセンターはものすごく類似点が多いことだった。
社会のトレンドや話題を取材し発信することで読者に本を買ってもらう。
新しい情報はもちろん、時には勝手な「これからはこれが流行る」みたいな編集長の感性で作った情報も発信する。
ショッピングセンターもトレンドをキャッチし、テナントや商品を編集し、イベントという特集を組み、それを発信。
そこに共感を覚えたお客様が来場する。
「何だ、同じでは無いか」
それが雑誌と言う紙媒体なのか、ショッピングセンターという不動産物件なのかの違いで、お客様に対して提供する価値は非常に似ているし、そこに働いている人も同じような発想と苦労と抱えていた。
これはものすごい発見だった。
実は、ここからウォーカーと数々の組みが始まるのだ。
その中で一番印象に残っているのは、クリスマス。
雑誌のクリスマス特集号と言うのは当時11月に発行されていた。
したがって、そこに掲載されるクリスマスのイベント情報やクリスマスツリーの写真は、その校了までに当然に求められる。
であれば、その時期は、当然、10月中だ。
10月中に撮影しなけばならない。
これが分からなかった時は、11月にクリスマス情報を持って雑誌社にPRに行っていた。
でも、それではもう遅いのだ。
それが分かってから、クリスマスツリーの建て込みは10月と決めた。
そして撮影は10月25日までに行い、雑誌社に持ち込む。
そうすればクリスマス特集号に間に合う。
これをやらないと、クリスマス特集号でツリーの写真が去年のものになったり、完成予想図で掲載されることになるのだ。
時折、そういうものを見ることがあると思うが、それは間に合っていないのである。
私は、それが嫌だったので10月にクリスマスツリーを建てた。
当時としてはとても早かったのは事実だ。
だから周囲からは「12月24日まで2か月もあるぜ」「いくら何でも早過ぎるだろ」という意見も多かった。
でも、編集長たちと相談すると、どうしても10月には建てないといけない。
そうすればクリスマス特集号に今年のクリスマスツリーの写真が掲載出来る。
雑誌に掲載されたクリスマスツリーの写真の下に「※去年のものです」などと注釈を入れなくて済むのだ。
その他、「12月24日、クリスマスお取り置き席」企画も行った。
これは雑誌にレストランとメニューの写真を掲載し、このレストランの中で一番クリスマスツリーが良く見える席を確保し、その席を「雑誌社専用お取り置き席」にするのだ。
雑誌の購読者だけが申し込める予約席。
雑誌に申し込み方法を記載して、その雑誌を通さないとこの席は予約できないという仕組みだ。
これは雑誌社も喜んでくれた。
雑誌社は他誌に無い付加価値を雑誌に付加することが出来る。
こちらも雑誌にレストラン情報を掲載してもらえる。
双方、WINWINだ。
当然、ここには出稿料は発生しない。
ショッピングセンターでは企画次第でお金をかけずに露出を獲得することが出来る例として参考にしてほしい。
雑誌社も常にどういった編集にするのか、どこから広告を取るのか、どこと記事広告やタイアップ記事を行うのか、悩んでいる。
だから、我々もいち早くその情報を察知して、雑誌社が考えている特集があればそれに合うイベントを企画し、広告料が減少している時は出稿する。
持ちつ持たれつ。
こういったことを繰り返していけば、自ずと雑誌社側からも頼りにしていただけるようになる。
「こんな企画するんだけど何かネタ無い?」と直接、編集長から携帯に連絡が入るようになるのだ。
とにかく、自分達で勝手に作ったショッピングセンターのイベントをリリースにして「取り上げて下さい」と言ってもそれは無理と言うものだ。
持ってこられた編集だって困る。
ここにも「顧客志向」が必要なのだ。
相手が何を望み、何を期待しているのか。
それをつかまないことには何も進まない。
ここでは多くの勉強をさせていただいた。
本当に感謝している。
当時、グランベリーモールが雑誌への露出が多かったのは、実はこういった地味な活動を行っていたからに他ならない。
もちろん、販促費が潤沢にあるショッピングセンターであれば出稿してしまえばいいだろう。
でも、それではお仕着せの宣伝ページになるだけだ。
工夫次第で魅力のあるページを作ることが可能なのだ。
このウォーカーと共に連携を密していたのは、2009年に休刊となった「シュシュ」
この雑誌も女性の心をとらえるとてもいい雑誌で多くの取り組みを行った。
休刊は本当に寂しかった。
あれから15年、未だに当時の東京ウォーカーの編集長や横浜ウォーカーの編集長たちとは懇意にさせていただいている。
今は、皆、それぞれの道を歩き始め、いろいろな活動をされている。
メディアの変遷は大きく、どんどん変わっていくけど、社会のトレンドや消費者の意識をつかみ、新たな価値を提供していく。
そこは何も変わらない。
今回、コロナ禍のこともあって休刊になったが、次のメディアを通じて新しい価値を発信してもらいたいと思う。
お疲れ様でした。