今日は東日本大震災から9年目。
(この写真はボランティアに行った時、撮影したものです。)
世間では新型コロナウィルスの陰に隠れて注目度もやや下がり気味。
でも、未だ4万人を超える避難者がいる。
そして、追悼集会も中止されてしまいました。
当時を振り返ると色々なことを思い出します。
商業施設が一番受けた影響は、「計画停電」だったように記憶しています。
計画停電とは、電力消費を抑えるため、計画的に街ごとに時間単位で送電を止めるもの。
計画停電という言葉も初めて聞くものでしたが、当時の計画停電の資料が残っていました。
地域をグループに分け、順にそのエリアを停電にしていく。
だから、その地域にある商業施設は、その時間は営業が出来ない。
この表で見ると、例えば第3グループに該当するエリアは、23日は12:20~、24日は9:20~、25日は6:20~(ひょっとしたら13:50~も)
と、断続的に停電が発生する。
ところが当時は、東京電力は原発事故もあり、相当に混乱していたので、こういったものの発表もギリギリ。
商業施設の人たち、特に店舗で働くスタッフは営業するかどうか分からない状態で、シフトを組み、対応しなければならず、それは相当の混乱とストレスでした。
その時、非常用発電の重要性と重油の大切さを感じたことも記憶に残っています。
普段、考えたこともなかったものが現実になり、初めてその重要性を知る。
危機的状況になることで分かることは多いです。
危機的状況で、「えっ、ここまで?」と驚いたのは消費者心理でした。
今回の新型コロナウィルスの影響でトイレットペーパーが無くなるという情報から店頭のトイレットペーパーが無くなり、今も品切れの店は多い。
デマだ、と分かっていても購買に走る。
これが消費者心理。
下の写真は、東日本大震災後のお店の棚の写真です。
とにかく、物資が無い。
特にパンやカップラーメン。
朝、お店を開けようものなら、お客様が我先に飛び込んできて抱えていく。
この光景は今でも忘れられない。
日頃、お行儀がいい日本人のお客様もこういった状況では変ってしまうのだ、と。
「明日、店が開くか分からない」「店が開いても品物があるか分からない」「品物が入荷しても自分が買えるか分からない」
この3つの「分からない」の前では人々は普段とは全く異なる行動を取る。
店頭で感じた一番忘れられない情景となっています。
個人的に印象に残っているのは、当時、ボランティアで訪問した宮城県のお宅で、おばあちゃんが、
「あの時、アメリカから軍人さんたちがたくさん来てね、すごい助けられたの。真っ黒な顔した人だったのよ」
と話してくれました。
恐らく、宮城で育ったそのおばあちゃんは、それまで黒人の方を身近で見たことが無かったのでしょう。
でも、わざわざ、アメリカから来ていただいて、こんなに助けてくれて本当にびっくりと感謝で一杯だったようです。
国境を越えて手を差し伸べる。
そんなこともこういった危機的状況だからこそ、実現する。
今回もこの危機を政争に巻き込むことなく、事態を収拾してほしいと思います。
当時、震災から学ぶこと、と題して寄稿したものがありました。
興味のある方は、こちらからダウンロードしてください。
↓詳しくは、
https://firestorage.jp/download/a3f2f6465fb864ffae6ccd69bf6b5e988428e1e2
(2020年3月17日まで)
こちらからも可↓
震災から学ぶこと(2011年11月寄稿)
もう9年も前のものですが、今に通じるところがたくさんありそうです。