日本で普段、気にしていないことが海外に行くと実は常識で無いことも多い。
今回は、「モノの値段」
モノの値段っていったい何だろう?
この不思議さを強く感じたハノイ。
下の2枚のビールの写真。
同じハノイビールだ。
これは市中にあるベトナム料理店のハノイビール「100円」
これはホテルのレストランのハノイビール「500円」
100円と500円
物価が安いハノイではホテルのレストランでも500円。
それでも5倍の開きがある。
この場所によって値段は違うこと。
これはどこでもある話。
面白いのが街のお店
いろいろなものがいろいろな売り方で売っている。
色とりどりの雑貨や果物が売られているが、共通するのは「値札が無い」ことだ。
だから値段は聞くしかない。
聞くと「200,000ドン」「300,000ドン」と教えてくれる。
でも、店の中にところ狭しと置かれている商品の1つ1つの値段を覚えているとも思えない。
恐らく「適当」なんだろう。
時間と曜日と客
これを見て適当に言っているのではないかと。
値段を聞いて悩んだり、躊躇していると、すぐさま「2個買えば250,000ドン」などと値段が下がってくる。
取引の始まりだ。
モノの値段は、需要と供給が決めるもの。
それが一日中、この小さな店で行われている。
市場経済だ。
圧巻なのはタクシーの値段。
街でタクシーを捕まえ、行き先を告げるとドライバーが降りてきて、スマホの電卓で金額を提示する。
「100,000ドン」
(ハノイでは千円以下は切り捨てるので、この場合「100」と提示される)
スマホを片手に「どうだ?」と運転手が問いかけてくる。
それに対してOKと言えば取引成立だ。
乗り込むとメーターは動いたり動かなかったり。
降りるときに成立した100,000ドン札を渡す。
この100,000ドン札がどう扱われるのか気になるがとりあえず「輸送と支払い」の取引は完了する。
普段、日本で生活しているとモノの値段はとりあえず値札が貼ってあるか記載してある。
家電店では値切り交渉は行われるが、一般の小売店ではまず行われない。
でも、日本だって、昔々は市場(いちば)から始まり、値段は需給で決まっていた。
それがいつからか製造側が決めた「定価」というものが登場し、それに国民が従った。
ただ、そのうち、それはおかしいと「メーカー希望小売価格」が登場し、価格が比較的、小売店の自由裁量に任されるようになった。
でも、値段の記載された札は商品に付いているもの。
正札だ。
考えてみると、今でもこの価格を自由に決められない再販制度を維持する業界は衰退しているところを見るとやはり価格は市場の原理に任せた方がいいのか。
でも、供給側と需要側の情報と力の強弱がバランスが取れていることが前提ではある。
近い将来、AIにより、モノの値段が、刻々と変わるらしい。
店頭の値札がデジタル化されれば、AIが天候や売れ行きや過去の動向を総合的に判断して値段を決めていくのだという。
勝手に値段が変わっていく。
確かに、ホテルやエアの値段は需給バランスにより変動する。
今、このハノイの店頭やタクシーで行われている市場取引。
モノの値段が需給バランスで決定するこの仕組みがAIの発達で戻ってくるのか。
今回、「ワルラス均衡、マーシャル均衡、アダムスミスの神の見えざる手、蜘蛛の巣理論」などを久々に思い出した。
勉強はしておくものだ。
まだ、ハノイに行ったことが無い方は、是非、タクシーのドライバーと価格交渉しに行ってみてください。
モノの値段。
マーケティングの4Pの1つ。
奥深いです。