いよいよ新元号。
今日から新たな時代の始まりです。
振り返ってみると、昭和は「製品」の時代だったように思います。
3種の神器と言われた「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」そして「自動車」
新しい技術が生まれ多彩な製品が開発され日本人の生活は大きく変わりました。
洗濯機の登場は、それまで手で洗っていた洗濯という苦行から人々を解放し、保温付き炊飯器の登場でいつでも温かいご飯が食べられるようになりました。
冷蔵庫は、長い時間、食材を保管できるようになり、我々の食卓を豊かにしてくれました。
そして、車が普及し、一気に国民の行動範囲が広がり、行楽の様子も一変しました。
モータリゼーションは住む場所や暮らし方までも大きく変え、郊外化を進めました。
昭和は、新しい製品がどんどん開発され国民の生活が大きく変わった時代だったと思います。
そして平成。
バブルの崩壊と共にスタートした平成の時代は、「価格」の時代だったと思います。
低成長、デフレ、消費不況と言われ、日本企業はものすごい努力によってコストカットを実現します。
多くの製品の価格を下げました。
それまで高いと思われていた、「寿司」「スーツ」「眼鏡」「家具」などあらゆるものが多くの人の努力によって、そして創意工夫によって大きく価格を下げ、国民に受け入れられました。
でも、それで幸せになったのでしょうか。
低価格を実現するために賃金は上がることは無く、長時間労働を余儀なくされ、海外へ生産拠点を移し日本の空洞化も進みました。
結果、「働き方改革」と呼ばれる労働時間の短縮が喫緊の課題となってしまう昨今です。
そして止められない人口減少。
では、令和はどんな時代でしょうか。
私は、願わくば令和は「価値」の時代になって欲しいと思います。
価値とは「豊かさ」と「利便性」の両立です。
行き過ぎた価格競争はもう止めにして、24時間働くことなども止めにして、大量消費も止めにして、身の丈の生活をすることで生活に豊かさを取り戻す。
工場を海外に移し、農産物も輸入し、インバウンドに景気浮揚まで頼る、それが本当の国の姿なのでしょうか。
海外からの旅行者を増やすことは経済成長や消費拡大や景気浮揚のためなのでしょうか。
とても疑問に思います。
ただ、AIを始めとしたテクノロジーの進歩は止めようもありません。
AIが進むと職を失うと言う人もいます。
でもテクノロジーが進むことで生活は便利になることも事実です。
例えば、キャッシュレスは利便性と現金保持の不安から解放されます。
医療技術の進歩は多くの人を救うでしょう。
自動運転技術があれば先日の池袋の事故は起こらず、お母さんと幼い娘さんは亡くならずに済んだかもしれません。
これからは安全もテクノロジーがもたらす時代です。
だからテクノロジーの発達による変化に抗うことは出来ません。
これまでもレコード針に代表されるように技術革新によって無くなるものは時代の常です。
歴史に学びます。
今、リアル店舗はどうでしょう?
相変わらず、その進化に抗っていませんか。
豊かさと利便性、この一見、背反することを両立させるための手段がテクノロジーであって欲しいと思います。
日本人としての価値を見出す令和の時代。