三井アウトレットパーク多摩南大沢
2000年9月に開業した時の名前は、「ラ・フェット多摩南大沢」
2000年4月に開業したグランベリーモールの半年後の開業だった。
この年の7月には御殿場プレミアムアウトレットが開業し、空前のアウトレットブームとなった。
そのせいであちこちに名ばかりの「アウトレット」と名前を付けた店舗が乱立した。
マスコミの方から「競合が激しくなって大変ですね」と言われるも、「いやいや逆ですよ。マスコミの皆さんがアウトレットアウトレットと連呼してくれることでアウトレット業界は盛り上がりますよ」と。
とにかく、どこかでアウトレットモールができると売り上げが増大する。
面白い現象である。
ただ、この年に3つの開発が重なったことで1998年から1999年、この3つのSCのテナントリーシング担当者が(私を含めて)ガチンコでぶつかりあった。
テナントさんの会社を訪ねると、「今、南大沢の方が来てましたよ」とか、「これから御殿場POの方来ますよ」と、言われることが日常茶飯事。
90年代は、まだアウトレットモールの認識も低く、アウトレット店を出店するテナントさんも限られてた時代。
とにかく取り合い。
この三社があの手この手でしのぎを削っていた。
そのせいか、この時、争った皆さんとは未だに仲良くさせて頂いてる。
どうやら本気で戦うと心は通じるものらしい。
皆、それぞれの場所で変わらず活躍されてる。
確かに揉めに揉めたテナントさんの方が長くお付き合いすることも多い。
不思議なものである。
話をラ・フェット多摩に戻す。
ラ・フェット多摩南大沢はグランベリーモールの至近。
商圏の広いアウトレットモール同士は相当の競合関係だ。
ところが、このラ・フェット多摩の初代所長と2代目所長がユニークな人だった。
特に2代目所長は相当面白い人だった。
ある時、この方と「よーし、勝ち負けをボーリング大会でつけよう!」と意味不明な話になり、ラ・フェット多摩vsグランベリーモール対抗ボーリング大会と冠して運営事務所対抗のボーリング大会を開催することになった。
こともあろうことか、事務所だけじゃつまんないからインフォメーションセンターも入れよう、ということになり華やかなボーリング大会が開催された。
場所は町田。
ここでの勝ち負けは覚えてないが、終了後の懇親会は大いに盛り上がった。
今考えると呑気な時代だったかもしれない。
当時は自由度が高かったこともあり、夏と冬のセールの期間も話し合って、日程をズラして開催した。
お客様に迷惑をかけずにアウトレットブームを巻き起こす原動力になったと思う。
今はECの存在におびえるリアルなSC。
でも、未だ、アウトレットモールだけは順調に売り上げを伸ばし、いくつも新設や増床が計画されている。
今やその数も30を超え、売上総額も8千億円とも、1兆円とも。
なぜ、アウトレットモールが順調なのか。
理由は、
1.安価にものが買えること。
2.非日常空間で滞在性が高いこと。
3.レジャー感覚で気分にスイッチが入ること。
4.不便な場所だけに行けば何かを買うこと。
5.季節のリアルタイムで商品を買えること。
そして、
6.インバウンド客の増加
などなど。
まだまだアウトレットモールの勢いは続くだろう。