「名駅が栄を初めて上回る 名古屋百貨店、地区別の売上高」
と題して名古屋地区の売上高を各紙が報じた。
https://www.asahi.com/articles/ASM153Q3TM15OIPE006.html
ここでは、
「名古屋市内にある主要な百貨店4社の2018年の売上高(速報値)は、名古屋駅地区の合計額が初めて栄地区を上回った。交通の利便性が高い名駅地区が、集客力を高めている。」
とある。
確かに今、名古屋駅にある百貨店や商業施設には多くのお客様がいる。
土日ともなると地下の食料品売り場は歩けないほどの混雑ぶりを見せる。
駅を中心に活動する人々の努力の結果であることは間違いない。
これまで、名古屋と言えば、繁華街として、消費地として、栄地区がその中心だった。
しかし、消費地(お買い物)としての地位は名駅地区が上回ったということだ。
実は、この現象は名古屋だけに限ったことではない。
この現象とは、「駅と旧市街地の消費額の逆転」である。
北から南まで、この現象が起き、今も起きようとしている。
明らかに交通の利便性を考えれば駅というターミナルは圧倒的な立地優位性を持つ。
古来、日本では、街の中心地はお城を中心に作られていた。
どこも戦(いくさ)を前提に戦いやすい(防御しやすい)高台などにその場所を求めた。
その後、鉄道網の発達が進み、多くの鉄道駅は、その旧来の市街地から離れた場所に作られていった。
(この理由は他に譲る)
結果、今、日本各所では、このターミナル駅の開発によって旧来の市街地からの消費の移動が起こっている。
これは、市場原理であり、経済活動であり、時代が作り出す結果である。
と、本当に割り切っていいのだろうか、という問題意識を持っている。
日本の国土造り。
仮に駅に消費が集中し、四条が衰退した時、京都の良さはどこにあるのだろうか。
駅から人が出なくなり、街が衰退した時、その駅の将来はどうなるのだろうか。
結果、ボディブローにならないのだろうか。
2000年、大店法が無くなる時、街づくり三法が制定され、多くの施策が実行されたが、残念ながら中心市街地の衰退に歯止めはかからなかった。
当時、商店街の衰退は、郊外に出来るRSC(大型ショッピングセンター)によるものだと言われ、「SC 対 商店街」の構図を指摘された。
しかし、今や、人口減少や高齢化から交通弱者が増加し、RSCの影響は低下、そのため、「旧市街地 対 駅」の構図が顕著になっている。
「将来、消費は、駅とネットしか残らない」と言われるほど、その力は大きい。
こうやっている間も駅の大規模商業施設化は進んでいる。
これは抗いようも無い現実であり、都市再生特区や国家戦略特区などの法整備は国の方針として選択されたものでもある。
すべての事象は、知恵を出し、切磋琢磨しかないのは重々承知の上。
前回、バンクーバーの話題を出したが、ここでは自然と文化と人々が一体となって暮らしている。
右肩上がり、経済成長、インフレターゲットなどどうでもいいかのように。
国民が本当に幸せに暮らすためにはどんな国土が必要なのか。
残念ながら、私にはこの解決策はまだ無い。
栄地区