【紙の新聞】
いまだ、紙の新聞をとっています。
それも日経新聞。
「えー、今はネットですよ」と若い方だけでなく幅広い年代の方からにこやかに返されるのですが何故未だに紙の新聞をとっているのか。
その理由は、
①朝の時間を作ること
朝、起きるとコーヒーを淹れ、(マイルドカルディを愛飲)、コーヒーが出来るまでの時間にポストへ新聞を取りに行く。
ここから1日が始まります。
そして新聞を広げコーヒーを飲みながら30分間、新聞を読む。
この時間が大切な気がしてずっと続けてます。
慌ただしい1日が始まる前の一呼吸て感じでしょうか。
②広く見る習慣
新聞を広げると自分の興味のある記事ばかりでなく、興味の全く無い記事も目に入る。
これが必要なんだと思っています。
「今はネットよ!」という声には何ら反論はないのですが、どうしてもネットで見ると自分の興味のあるものしか見なくなる。
yahooニュースなど13文字の見出しでクリックするかしないか決めてしまう。
そうするとどんどん見方が狭くなる。
ネット側もアルゴリズムがあるのか、興味のあることしか表示しなくなる。
そしてどんどん自分が視野狭窄になる気がして。
最近、若い人が書く論文も似たようなワードや切り口ばかり。
これって、ネットのアルゴリズムのせいじゃ無いかと疑いたくもなる。
広く社会は見ないと、とそんなつもりで新聞を大きく広げてます。
③折込チラシ
仕事柄、消費社会が気になる。
その時、毎朝のチラシの種類や内容がとても面白い。
最近は、お墓、老人ホーム、車、不動産がとても多い。
昔は流通店舗のチラシばかりだったのに、ネット文化に押されてか随分と様変わり。
でも、こういう分野はまだまだチラシなんだな、と妙に感心したり。
これもネットだと一度クリックした広告が次々に現れてうんざりすることもたびたび。
と、こんな理由から紙の新聞を取り続けている。
本音は40年の習慣はそう簡単に変わらないってことだと思いますが。
ここで大切なのは、ネットに出てくる記事やニュース、新聞に掲載される記事やニュース、これら全て人が取材して人が作ったもの。
時にはニュースソースは同じだったりする。
それを紙かネットか媒体に関わらず発信される。
だから、大切なのは、見る媒体の問題では無く、記事やニュースの信憑性と書いた方の見識。
これを読み解く力がないとアルゴリズムによって大量に流されてくる固定化された情報に溺れてしまう。
そうならないようにしばらくは紙の新聞を広げた朝を迎えたいと思います。