内閣が変わり、行政文書からハンコを無くそうと動き始めた。
早速、印鑑を取り仕切る業界団体からは不安の声と共に陳情も行われている。
ただ、今回は印鑑文化を論点にしているのではなく、ハンコを押す必要のないものまで押すことの非効率さを指摘しているのだと思う。
とはいえ、国民の意識からは徐々にハンコに対する重要性は薄らいでいくことにはなるだろう。
この動きを見ててあることを思い出した。
東日本大震災後の省エネ、クールビズの動きと共に男性の首からネクタイが消えていったこと。
当時もネクタイの業界団体が政府に対して訴訟!といった過激な動きもあったが、やはり、ノータイは定着してしまった。
このノータイの流れは、気候変動、省エネ、カジュアル化などの社会的な環境変化を背景にしている。
実はこういうことは過去から多数の例がある。
例えば、お侍さんの刀は、明治維新後、無くなっていった。
環境変化によって無くなるもの。
これを無理やり続けていこうというのはやはり無理が生じる。
私は印鑑は嫌いでは無い。
押す時に自分の意思を確認できるいい機会だと感じている一人(これも長い社会人生活から培われた価値観だけど)
でも、行政の窓口に行って出す書類にどこでも買える(いわゆる)三文判を押す必要は低そうにも思う。
とにかく、社会の環境変化によって無くなるもの。
これはいつの時代も起こる。
ここに不満を言っている暇があったら、その時間は、次のステージへ向かう行動に使う方がいい。
ネクタイとハンコ
いろいろ考えさせられますが、「一度流れた水を逆流させること」は相当難しい。
流れに逆らって泳ぎ続けるといつか溺れてしまいそうです。