今、日経新聞の「私の履歴書」でモンベル創業者の辰野勇さんが登場している。
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https://www.nikkei.com/stories/topic_resume_24102500
私にとって忘れらない人
出会ったのは2001年
もう23年も前
キッカケは、REIの日本撤退の時
REIは、2000年、日本一号店でグランベリーモールに出店した。
(当時の写真)
引用先:https://note.com/hytshin/n/nf1948bc59201
REIと言えば全米各地にあるアウトドアの名門中の名門
その1号店誘致に携わったことは生涯の思い出だ。
しかし、テナントの日本一号店誘致業務
商業施設の経験が無い私の一番最初の仕事が、このハードルの高い仕事だった。
だからこそ、今の自分があると思っているし、当時は経験が無いからこそ、その誘致業務は、楽しくて仕方がなかった。
昼間の交渉は多岐に渡りタフな時間だったけど、交渉の時間が終わり、夜は、アメリカから来た皆と飲みに行ったり、船に乗ったり、親睦を深めた時間は本当に楽しい経験になった。
長い交渉も、チーム皆の努力の甲斐あり、2000年、グランベリーモールに一号店を開業した。
大きな区画と天高10mの区画を作り、ピナクルという山登りの練習場を作った。
引用先:https://kawariyuku-machida.com/article/434422960.html
今はメジャーなクライミングも当時は驚きしかなかった。
天高10mのアウトドアワールド
それは圧巻だった。
ところが、2001年、REIは、種々の事情から日本から撤退することになった。
開業からわずか1年の出来事
アメリカからやってきた担当者に撤退を告げられた時、頭は真っ白
「あの大きな区画、どうする?」「ピナクルは?」「池は?」
テナントの退店は、退店交渉と言う途中解約に伴う解約要件の執行、原状回復協議、後継テナントの誘致と多くの解決しなければならない
まず、この区画をどうするか
一括でテナントへの賃貸は難しいと思い、区画形成を行ってマルチテナントミックスに改変することを考えた。
一方、REIからは精算処理を行う専門家が来日し面談。
これは相当タフなネゴシエーションになるな、と思っていた矢先、辰野氏が現れる。
彼は、店舗を引き継ぎたいと言う。
え?全部?
そんな疑問も吹き飛ぶほどの熱量
経営者とはこういう方を言うのか、と驚き、その後、面談を繰り返す。
大阪本社へも何度も行った。
ある時、別な用件で大阪にいる時、辰野さんから会いたいと連絡があり本社へ。
ところがその日は会う予定をしていなかったので、 NorthFaceのフリースを着てて辰野さんに笑われたのも懐かしい思い出だ。
North Face着てモンベルの本社に来るやついるか、と(笑)
面談を繰り返すうちに彼のアウトドアへの想い、モンベルへの想い、社会への想い、それらを通して色々なことを教えてもらった。
そして、最後の交渉は、米国から来た交渉者と三者で対峙した。
それも店舗の中
辰野さんの流ちょうな英語は素晴らしかった。
辰野さんの提案は、自分の利益をよそにどうやってお客様にアウトドアの良さを伝えるか
モンベルのコンセプトを伝えるか
それだけだった。
だから、一番心配していた、これまでに販売したREIの商品のアフターケアも引き受けると言う。
そして、REIの商品もそのまま販売すると言う。
結果、今回の出来事は、REIの単なる撤退ではなく、モンベルによる継承と言う形が作られ、それを施設がサポートする最高の形が作られた。
三方良し
その上、お客様にも迷惑はかからない。
素晴らしい決着を見る。
おかげで、店舗のスイッチも数日の休業で切り抜ける。
半年は閉める覚悟でいたのに。
そして、モンベル グランベリーモール店は開業した。
引用先:https://blog.goo.ne.jp/funamyu/e/24aab744fba49f0ac22e970e89200f28
そして今では、グランベリーパークに新たに復活。
当時、辰野さんが希望してたカヌーも出来るようになって。
仕事を通して、多くの方と会う。
その中でもいつか恩返しがしたいと思える人は何人いますか?
たくさんいることは幸せなことですよね。