「マリノアシティ福岡」が今月18日に閉店する。
マリノアシティ福岡の開業は2000年。
ちょうどグランベリーモールの開業準備と重なったことから、担当の皆とは色々情報交流をしながら進めたこともあり、思い出深く、この閉店はとても悲しく感じます。
でも、24年の月日は老朽化が進み、いつかはこんな時が来る。
グランベリーモールも2016年に閉店、2019年にグランベリーパークとして再出発しているようにマリノアシティ福岡も新たな計画が進む。
90年代、オープンモールという形態は市民権を持たず、関係者たちに計画を伝えても「四季があり、雨が多い日本ではオープンモールは成り立たないよ」と言われることが多かった。
加えて、当時は、百貨店やGMSが核店舗として存在していることがショッピングセンターの王道であり、セオリーだったから、テナントからは「どうやって集客するの?」と出店に二の足を踏む企業も多く。
そんな中、ここマリノアシティ福岡も百貨店もGMSも無い計画だった。
でも、不思議と計画している我々は、「必ずうまく行く」と、今考えると根拠の無い自信を持っていたし、マリノアシティ福岡の皆もそこは同じだったように思う。
そんな時、歴史が我々に追い風を与える。
2000年と言えば、大店法の廃止、大店立地法の制定、定期借家制度の整備、資産流動化法の改正など大きな変化の年となり、1998年の横浜ベイサイドマリーナアウトレット(現三井アウトレットパーク横浜ベイサイド)の大成功に端を発し、プロパーとアウトレットを併設したグランベリーモールが2000年4月に開業、御殿場プレミアムアウトレットが同年7月、ラ・フェット多摩(三井アウトレットパーク南大沢)が9月、ガーデンウォーク幕張(三井アウトレットパーク幕張)が10月と続々と開業し、空前のアウトレットブームが訪れる。
マリノアシティ福岡もその真っただ中の10月に開業。
その後、増床を繰り返し、24年もの長きに渡り、愛され続けたことは称賛に値すると思う。
増床部は、オープンモールの欠点である天候に左右されない工夫も施され、それでも開放的なデザインは継続される。
当時のアウトレットモールと言えば、アウトレット商品を廉価で売ることから店舗内装には出来るだけ投資を掛けないことが一般的だった。
店舗は、スケルトン天井、空調は共通空調、造作も最低限。
そんな建築コンセプトが今もここには生きている。
今、建設されるアウトレットモールは、重要な流通チャネルに成長したことから店舗内装をブランドイメージに合わせて造作することも増え、24年の月日の変化は大きい。
今はファイナルセールの真っ最中。
暑い中、皆、大変です。
ここは天神からも離れ、最寄りの姪浜駅からも離れ、加えて商圏の半分は海。
だから逆にアウトレットモールとしての環境と非日常空間が形成される。
良いところに目を付けました。
思い出深いマリノアシティ福岡
24年間ご苦労様でした。
閉店まであと少し、最後の盛り上がりを祈念しています。